翻訳に関する一二愚見
背負っている言葉の意味を重たそうな陰影ごと手軽に自国語に直す作業を生業とする通訳・翻訳者たるものは言霊の担い手にあらずして何ぞや。
各文書を作り上げる建材、つまり言葉一つ一つの妙味に取り付かれる天職たる翻訳はさて置き、翻訳業というまともな仕事を営むには、新領域における正しい方向感覚、適正な自己評価能力及び文章に対して厳格且つ真面目な心構えを示すという幾つかの資質が求められるようである。翻訳自体の作業に着手するときは、チンプンカンプンで呑み込みようのない電子シャックリの如き機械翻訳から遥か離れた外国語・母語間の仮想国境を静かに超えて自然に流れていく川と同じ姿勢で対応するに越したことはないだろう。
しかしながらご多分にもれず翻訳者もうだつの上げ下げを左右する履歴書が紛らわしい場合がある。激しい競争の中で市場から淘汰されまいと自画を描いては自讃とともに果て無きウエブ上にアップロードするや否や、画面にぽかんと見とれながら効果がぱっと表示されてくるのを待ちわびる。
お客さんがクリック一つで彼を探し当て、メールのやり取りで相談がまとまると、近所の皆さんを悩ませているシュウトメゴの間欠性饒舌症を根治する唯一の頼みの綱となるバイエル社製薬品使用説明書をスキャン後、JPEG添付ファイルとして送信しておいて先方にその翻訳を頼むことにする。
間もなく義母語に訳された投薬説明書が届き、その代金の支払いをペイパル経由で済ましてから散薬を処方箋どおりに義母に義理立てして呑ませてた後、静寂さが周囲を包んでくれるのを待ちあぐむ。ところが翻訳文書中の誤記のため、何もかも逆夢に終わり、病が根治どころか不治へと逆転してしまう体たらくだ。
色々と考え合わせると、翻訳業という営みにもリスクが伴い、些細な手落ちから顧客事情の好転が悪転に一変したりして、筆を択ばぬ弘法にも筆の誤りでは言い訳になりにくい。そして翻訳料金が低いときは、最初は誰でもほくそ笑むのだが、突然低品質品をつかまされることを怖れだして小首をかしげたくなるのも無理からぬ。その反面、代金が高いほどモノは上出来だなあと思い込み寂しい財布を喜んで犠牲にする人も少なくないらしい。作業の難易度相応の報酬だったらまだいい方であろう。
上述の事態が発生するのを防止するために、何度もチェックを重ねたのちにモノを納品するという対策があることは論をまたない。
エミール エウジェン ポップ |